福島原発事故で「自治体ぐるみ避難」等の6自治体を訪問・激励
自治労連は、原発事故から4ヵ月経てもなお住民が長期の避難生活を強いられている市町村を訪問し、懇談、激励活動を進めています。初日の7月6日は、大熊町、楢葉町、葛尾村、2日目の7日は、田村市、いわき市、広野町を訪問し、全国から寄せられた義援金を手渡し、懇談しました。本部・柴田副委員長、木村憲法政策局長、福島県本部・笠原委員長らが参加しました。
大熊町では、渡辺利綱町長が応対。義援金に対して町長は「ありがとうございます。町民のために使わせていただきます」と述べた後、住民生活や行政の厳しい現状を話しました。庁舎を150㎞離れた会津若松市の第二庁舎を借りて設置。11500人の住民のうち4200人が会津若松市周辺に、他はいわき市や郡山市などの県内だけでなく、埼玉県、東京都、新潟県などに離散して暮らしています。津波による全壊流失は30戸、死者・行方不明は8人でしたが、がれきに覆われた町内は、放射性物質に汚染され、立ち入りが規制されています。会津での仮設住宅は7月にできあがる見込みですが、いわき市には福島県内各地から避難が集中し、用地の確保が難しく8月までかかとのこと。そんななかでも仮設住宅の団地内に商工会が共同店舗を計画、集会室(大熊サロン)も開設され、6月1日から若手職員を中心に「復興プロジェクトチーム」を立ち上げ、町長は「生まれ育ったまちを廃墟の町にしてはならない」と呼びかけています。
楢葉町では、草野孝町長と鈴木伸一副町長が応対。住民8000人のうち2500~3000人が県外に避難し、県内では会津美里町といわき市に分散。町役場は、会津美里町の支所を借りた本部といわき市内の大学施設を借りた出張所の2カ所に設置。町長は「楢葉町は何十年も原発と共生してきた。かつては自主財源が2割しかなく、側溝の回収まで一つ一つを県にお伺いを立てなければならなかった。しかし電源交付金がどんどん増えて、1000人以上の雇用がうまれ、不交付団体にまでなった。生活も楽になってきた途端に事故にあった。ゼロになった。誘致した企業は『4年も待ってられない、機械の運び出しを承諾してくれ』といわれている」と現状を語りました。
葛尾村では、松本允秀村長と金谷喜一参事が応対。20㎞圏から30㎞圏の間にある葛尾村は、地震と津波直後から、富岡町などから約200人の避難住民を受け入れ、生活支援をおこなっていたところ、3日目の14日になって20㎞圏内の屋内退避の指示。村の自主的判断で同日夜10時15分に住民が役場に集合、車に分乗して、とりあえず広い駐車場がある福島市の総合運動場に向かったとのことでした。村役場を設置する会津坂下町には、住民1500人のうち500人が避難しています。三春町に440戸の仮設住宅建設が進み、近日中に役場機能も三春町に移転します。仮設住宅は用地確保の事情から4カ所に分かれますが、それぞれに「支え合いセンター」をおいて職員を配置し、村の復興に向けて共に支え合い、学び合い、村づくりに参加し、活動する場にします。村のホームページには村長の「『大好きな葛尾へ戻って、普通の生活が出来る日が早く来ることを願い』もう少しの間、健康に留意しお互いに耐えて行きましょう」というメッセージが掲載されています。
田村市では、橋本隆憲副市長に義援金を手渡しました。田村市は田村郡5町村が合併した市で旧船引町に置かれた市庁舎も立派なものではありませんでした。そのうち旧都路村地域が避難・屋内退避指示が出て、計画的避難地域・緊急時避難地域になって市内に避難してきており、仮設住宅建設、旧校舎に都路の2つの小学校を合併移転、1つの中学校は同居設置。原発事故の解決が何よりの課題です。該当地域に戻り生活している市民もいて、都路行政局は本庁舎と地元両方に置かれる事態となっています。診療所も住民がいる以上、近々都路に戻るとのことでした。長期化も予想されるもとで工業団地もありますが、郡山以東にはなかなか来ない、仕事と雇用の確保が喫緊の課題であるとのことでした。
いわき市では、鈴木英司副市長が対応しました。中核市で大きな市ですが、有名な小名浜港は家屋の二階まで津波に襲われ、水産加工業が打撃を受けました。港は修復に向かっていますが原発事故で沿岸漁業が中止されたままで、遠洋漁業は銚子港などでの水揚げ始まっているとのこと。被災者は旧雇用促進住宅、旧地域振興公団住宅にほぼ全員入れ仮設住宅はわずかです。常磐湯元温泉など観光旅館は被災者の収容と原発で働く労働者の休息・生活の場となっており、従業員解雇が少なくなく、水産加工業失業者と合わせて水産業と観光業の立て直しが急務です。どちらも原発事故により復興できない状態であり、なにより事故解決が望まれています。また、約5,000人が原発事故により市外に放射線を避けて避難しており、住民の把握も課題です。同時に同市は他の被災町村の避難住民の受け入れ市の側面を持っており、約1万人分の仮設住宅が建設されています。総務省は多様・広範囲に避難する被災住民の公共サービスを避難先自治体で受けられる検討を開始しヒアリングにも来たとのことでしたが、財源を配るだけでは難しく、マンパワーの確保・介護施設はじめ施設拡充なども必要であり、国の責任での全国的・広域的に被災者の長い避難生活を保障することが求められています。
広野町は山田基星町長に義援金を手渡しました(写真)。いわき市に隣接し屋内退避から緊急時避難準備地域ですが、30Km圏内であり、原発立地町村の11日からの猛烈な南下避難も目の当たりにし、14日に内陸の小野町に全町避難を呼びかけ、現在いわき市に避難してきています。役場は民間会社の工場の空き建物にあり、自力で情報を集め探したとのこと。町に何ら連絡ないまま東電が町内の火力発電所再開工事を始める、マスコミで緊急時避難地域を解除する可能性を政府が一方的に発表するなど、地元無視の状況です。しかし、町内のモニタリングは十分ではなく、細かい地域ごとのモニタリング実施が無ければ帰れる判断が付かず、国と東電の責任ある対応が重要です。役場ごと避難自治体では帰る展望がある一方、仕事と生活の自立は同様に重要な課題となっています。