第20録 「宮水(みやみず)」に育まれ、天与の水を守り続ける
2017年10月号 Vol.527
兵庫県西宮市 「宮水」と酒蔵通り
「宮水(みやみず)」に育まれ、天与の水を守り続ける
江戸時代から酒造地として繁栄
▲宮水井戸場。半球形のものは単なるモニュメントです。一般の立ち入りはできません
19世紀に「生(き)酛(もと:酉へんに元)造り」という技術革新で台頭した灘五郷(なだごごう)とは、西宮市の今津郷と西宮郷、神戸市の魚崎郷、御影郷と西郷を指し、このうち、今津郷から西宮郷に至る東西2キロの道が「酒蔵通り」と呼ばれています。
宮水井戸場の不思議な景色
この酒蔵通りの中間に不思議な風景が広がります。「宮水」と称される酒造りに適した地下水を産出する宮水井戸場です。ここは六甲山系から流れる法安寺、札場筋(ふだばすじ)、戎筋伏流という地下水脈の合流地点で、500㍍四方に、灘五郷の酒蔵がそれぞれ数本から十数本の井戸を所有しています。この井戸は水面が地下4㍍という浅井戸で、周辺の影響を受けやすい浅い水脈を守るために酒造組合と行政は調査保全対策を行い、取水量も厳密に制限しています。
昭和のはじめ、近隣の蔵以外は牛車で港まで運び、船に積み変え、再び牛車に積んで各郷の蔵まで運んでいました。現在はタンク車で運搬しています。ここまでする酒造適性の価値が認められた名水で、阪神淡路大震災のとき、倒壊した蔵を見た蔵人たちは、宮水井戸に駆けつけ、枯れずに水を湛える井戸を見て、「また酒を造ることができる」と涙を流したということです。
江戸時代には新酒レースのスタート地点
江戸への「下り酒」で繁栄した灘の酒造りですが、当初は菱垣廻船に積み、後に酒樽専用の樽廻船で輸送していました。毎年旧暦2月には、西宮沖から江戸新川まで新酒を運ぶレース「新酒番船」が行われ、通常12日かかるルートを3日で駆け抜けたと記録されています。現役最古の灯台で、民営の「大関酒造今津灯台」が昔日の面影を伝えています。
失われた木造蔵の面影は博物館で
酒蔵通りに面して数蔵が近代的な工場を構えています。木造蔵はありません。これは昭和20年6月の阪神大空襲で大半が焼失し、かろうじて残った蔵も平成7年1月の阪神淡路大震災ですべて倒壊したためです。六甲颪(ろっこうおろし)の寒風を取り込む「重ね蔵」構造の美しい木造蔵を失ったのは残念ですが、残された古い木造の設備や酒造りの様子は白鹿記念酒造博物館で見学することができます。
酒蔵通りそのものは普通の道路です。歩くだけでは、酒蔵の直営店に立ち寄る他は酒造りの雰囲気を感じることはありません。ぜひ、ガイドの案内で訪れてください。
▲予想外の浅井戸、水面が目の前
▲白鹿記念酒造博物館。宮水を運ぶ大八車のために石を敷き詰めた「板石道」を再現した中庭
見聞録メモ
【白鹿記念酒造博物館】
所在地:西宮市鞍掛町8-21
問合せ:0798-33-0008
見学時間:午前10時~午後5時
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日、連休は連休明け休館)、年末年始・夏期休暇
入館料一般400円・中小生200円