西日本豪雨から1年 被災者の声が活かされた復興へ
住民を守る自治体労働者として
▲当時、避難所ではたくさんの支援物資とボランティアの協力に助けられました
昨年7月の西日本豪雨災害から1年が経ち、被災地ではいまも復興作業が続いています。いつ、どこで大災害が起こるかわからない可能性に全国の住民と自治体がさらされているなか、被災当時の経験と復興への思いを語ってもらいました。
自治体の役割を発揮し住民とともに災害復興
岡山 高梁市職労
普段の生活を取り戻したように見える高梁市内の被災地区ですが、家屋の解体作業は続いており、小さな商店のシャッターは降りたままです。路肩が崩落したままの道路や、のり面が崩れたままの田畑が何百カ所も見られます。
高梁市職労の岡﨑加奈子さんは、「災害時職員対応マニュアルどおりにはいかず、人は足りない、試行錯誤の毎日でした」と災害発生から数カ月間を振り返ります。「職員が倒れては復旧・復興支援ができない」と組合でも機関紙で職員を励ましながら、非正規職員への災害特別休暇や、家屋被害にあった職員の職務専念義務免除を勝ち取るなど役割を発揮しました。
しかし、人員不足もあり災害対策本部に職場の声が十分に伝わりきれない悩みや葛藤もあったそうです。
「避難所では住民から『よくやってくれた』と声がある一方、地域に詳しくない職員が配置されて困った事例も聞きました」と岡﨑さん。そんななか、「地域のことを一番知っているのは地域住民だ。何でも聞いてくれ」と言ってくれた住民もいます。
「いま、市では災害復旧と合わせ、地域の方と一緒に防災についてとりくみをすすめています。組合としても地域の民主団体と一緒になって、災対連高梁として、今後の防災や対策について訴えるとともに集いや学習会も開催してきました」と話します。
被災を経験したからこそ、住民のいのちとくらしを守る自治体職員として、被災者の声が活かされた復興に努めていきます。
▲高梁市職労 岡﨑加奈子さん
大変な時こそ組合に職員の声を
愛媛 西予市職労
豪雨で貯水限界を迎えたダムの緊急放流により、家屋2階部分まで浸水する被害で5人が犠牲者となった愛媛県南部の西予市野村地区。
当時、西予市職労の委員長だった和氣(わけ)伸二さんは、「親族を亡くした職員や、生まれ育った実家や新築した住家を失い、仮設住宅で生活をしながら勤務する職員。泥水に沈んでいく町をただ眺めることしかできず自責の念にかられた職員は深く傷ついた」と語ります。和氣さんもこの地区で育ちました。
復旧作業と災害ごみ対応、徹夜の避難所運営などが続き、職員の体力と精神も極限まで疲弊しているなか、7月26日に西予市職労は執行委員会を開きました。8人が集まり「被災地での業務希望を出したが、上司の判断で行かせてもらえない。他の職員が復旧業務にあたっていることに罪悪感を抱きながら通常業務している」と涙ながらに訴える仲間もいました。組合として職場負担軽減やPTSD防止を求める緊急要望書の提出を確認しました。
「災害対応がまだ収束していない時期だからこそ、集まって職場目線で課題を出し合える機会を設けたことは、組合の役割として重要だった」と語ります。
災害から1年。災害対応できる人員体制の確保を改めて問うと同時に、大変な時こそ職員の声を拾うことが組合の役割であり、職場の期待に応えることにつながります。
▲復旧作業が続くなか集まった執行委員会
▲西予市職労 和氣伸二さん
直営の経験と力を発揮 技術の継承と職員採用を
広島 広島市職労
広島市職労環境局支部の金江靖浩さんは、昨年4月の採用直後に西日本豪雨災害に直面しました。「7月9日から被災ごみの収集を開始しました。安芸環境事業所は、電話も鳴りっぱなしでした」
安芸地区の収集車8台と他区からの応援5台で膨大なゴミを一日で収集しきったことに、先輩職員の経験と直営のすごさをまざまざと感じました。
災害から3カ月が過ぎるころ、被災建築物の撤去が始まり、さらに忙しくなりました。「人手が大変不足していることを実感しました。現状は職員採用がありません。災害はいつ起きるかわかりません。また、ホコリと悪臭がひどく、マスクの補充は要望事項です。環境事業所にはダンプカーも少ないので、これも要求が必要です」
最後に「環境局支部の組合役員になりました。先輩に学んで早く一人前になれるようにがんばります」と決意を語りました。
▲膨大なゴミを連携して回収した現業の仲間
▲広島市職労 金江靖浩さん