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シリーズ33 いちから学ぶ仕事と権利 メーデーの歴史に学び困難な今こそ団結しよう

メーデー

今からちょうど100年前に日本で初めてメーデーが行われました。戦争による中断などを乗り越えながら受け継がれたメーデーの歴史とともに労働組合の役割について学びます。

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8時間労働の基礎を築いたメーデー

メーデーは、1886年5月1日(MayDay)にアメリカのシカゴを中心に「8時間労働制」を求めた統一ストライキが起源です。1日12~14時間労働が当たり前の時代に「8時間は仕事のために、8時間は休息のために、残りの8時間は自分のために」をかかげ、現在の「8時間労働原則」を世界中で築きました。

日本の第1回メーデーは、1920年の5月2日に東京・上野公園で行われ、約1万人の労働者が集まり、「8時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えました。翌年からはメーデーは5月1日となり、全国各地で行われるようになりました。

弾圧や中断のりこえ引き継がれる結節点

日本が日中戦争に突入するなか、1936年の第17回メーデーは「治安維持」を名目に内務省警保局によって弾圧・禁止されました。弾圧に対して労働者は反対運動を起こし、全国でさまざまな集会やデモが開催されました。しかし、この年から1945年の第二次世界大戦終結まで開催を許されませんでした。

1946年に戦後復興と食糧難を背景にして11年ぶりにメーデーが復活。その後も、日本の再軍備をめぐる反対運動などとともに労働者と国民の大きな運動の結節点と位置づけてきました。しかし、1989年、労使協調路線の「連合」はメーデーで特定勢力を排除。大きな分断がもたらされました。

困難なときこそ労働者の団結を

メーデーの歴史を振り返ると、私たちの先輩たちは、弾圧や困難を団結して乗り越えながら労働者の権利、いのちと健康と生活を守ることの大事さや、戦争の経験から学んだ平和の尊さを訴え運動を続けてきました。その思いは日本国憲法に諸権利として明記され、今日に至っています。

今年の第91回メーデーは、新型コロナの影響で中止や規模縮小を余儀なくされています。

いまだかつてない困難に私たちは直面しています。しかし、困難な状況だからこそ、各職場や地域での要求や声を力に、労働者や国民の権利や制度のさらなる拡充・実現に向け、声を上げて連帯を深めていきましょう。

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