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第52録 幕末から明治へ激動の歴史街道を歩く

いい旅ニッポン見聞録2020年8月号 Vol.561

島崎藤村『夜明け前』の舞台

幕末から明治へ激動の歴史街道を歩く

岐阜県中津川市馬籠(まごめ)

▲馬籠宿のシンボル「水車小屋」

中山道で人気の馬籠宿(まごめじゅく)。中津川駅前からバス停「馬籠宿」で降り、水車を左に見て石畳の道を歩きます。両側は民宿、旅館、土産物屋などの旧い街並みが続いています。

藤村記念館

島崎藤村の生家、本陣跡に建てられた「藤村記念館」。本陣問屋庄屋の三役を勤めた割には小さいなと感じる屋敷です。聞けば1895(明治28)年の大火でほとんど焼失したそうです。

藤村が国学者だった父から四書五経の素読を受けていたとされる隠居所と井戸が遺り、わずかに往時をしのぶことができます。

馬籠脇本陣史料館

ここも大火で類焼した脇本陣跡に建てられています。史料館の人が言うには、馬籠宿は家が密集しているので、防火施設ができるまで何度も大火に遭ったとのことです。

高札場(こうさつば)(禁令告知板)の近くに、「京に五十二里半 江戸に八十里」と刻まれた石標があります。先の史料館を過ぎたあたりから旅人は少なくなりますが、同じく中山道で人気の妻籠(つまご)(長野)方面から来る欧米人が目立ちました。帰り道はその人たちに続く恰好に。彼らは道沿いにある竹筒からの落水や石垣に植えた盆栽のような樹々を写真におさめていました。狭い所に工夫してくらしている風情が興味深いそうです。ふだん見慣れた風景を見直す機会になりました。

馬籠宿は木曽路じゃない?

馬籠宿の端には島崎藤村直筆の「是より北 木曽路」と刻まれた石碑があります。ですが、馬籠宿のある地域は全国唯一の越県合併で岐阜県中津川市に編入しています。

そして、「日本遺産」の「木曽路」に馬籠宿は含まれていません。馬籠宿の人たちには心中複雑なものがあるのではないでしょうか。

馬籠宿の民宿に泊まり、未明に提灯を下げて馬籠宿から妻籠を歩けば、小説『夜明け前』の気分をもっと味わえるでしょう。馬籠宿に限らず、江戸時代はあちこちで行われていた祭礼狂言。いまは中津川市で盛んな地歌舞伎のミニ公演が年数回、馬籠宿の集会所でも催されています。

『夜明け前』の主人公・青山半蔵が祝言の終わり、6日目の夜に乳母に供された五平餅を求め、無機質なビジネスホテルに帰ってきました。取材は少し前ですが、コロナ禍が落ち着いたらまた行ってみたい場所です。

▲石畳の坂道「馬籠街道」

▲「藤村記念館」の入口は本陣跡風情の門