【シリーズ151】「お母さん」の笑顔が育てた公共一般
2013年4月号 Vol.473
東京・公務公共一般労組 丹木 幸美(たんぎ ゆきみ)さん
「お母さん」の笑顔が育てた公共一般
東京・江東区役所8階の職員互助会直営売店。「このチョコレートおいしい?」「こっちの方が人気だよ」、お客さんと丹木幸美さんの楽しそうなやり取りが。 丹木さんは、16歳で熊本から単身上京し、働きながら洋裁学校を卒業し、洋裁教室を始めましたが、時代の流れから思うに任せず、31年前にこの仕事に就きました。 丹木さんは、1990年に結成された東京公務公共一般労組の初代委員長として今日3000人を超す大組織の礎を築き、今も副委員長、そして公共一般江東支部長として奮闘中です。 江東支部では区役所内の非正規職員の雇用を守り、労働条件を改善するために、昼夜を問わず非正規職場をこつこつとまわり、パートの臨時職員化など権利拡大を実現してきました。このようななかで、12人で発足した江東支部は現在250人を超える組織に発展し、東京自治労連青年部長と東京地評青年部長の2人を送り出すまでになっています。 元気で組合活動を続ける丹木さんは、「いつまでも元気でいたい」と、50代から新日本舞踊や三味線、さらに和太鼓も習い覚え、今では区労連や公共一般の催しで毎回のように一芸を披露しているほどです。 昼夜を問わず、休日もパワフルに動き回っている丹木さんですが、水俣の網元の娘として生まれ育ったことから、水俣病の影響か、骨腫瘍が発覚し、足一本を失うところを腰の骨を移植するという大手術で事なきを得たり、昨年3月にはご主人を癌で喪うなど波乱に満ちた人生を歩んできました。 しかし、公共一般の仲間に励まされるなか、持ち前の明るさと気丈な性格からでしょうか、常に前向きに、笑顔を絶やしたことはありませんでした。また大病の療養時とご主人の看病以外はどんなことがあっても公共一般執行委員会に出席するなど、強い信念の持ち主です。 そんな丹木さんのもとには、組合員のみならず、管理職などからも相談が持ち込まれ、「お母さん」と親しまれています。このたくましさと笑顔が、非正規労働者の権利拡大、均等待遇実現の運動に注がれてきたから、今日の東京公務公共一般労組の到達点があるのでしょう。
▲江東区役所8階の売店にて。公共一般江東支部青年部・桂木理恵書記長(左)と丹木さん(右)
▲和太鼓サークル「奏太鼓(かなでたいこ)」で演奏する丹木さん