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第123館 智恵子の世界が広がる紙絵

日本列島 おどろき・おもしろミュージアム2012年6月号 Vol.463

福島県二本松市 智恵子の生家・智恵子記念館

智恵子の世界が広がる紙絵

 雑誌『青鞜(せいとう)』創刊号の表紙絵で知られている長沼(高村)智恵子の故郷、福島県二本松市には智恵子の生家が保存され、その裏庭には智恵子記念館があります。さらにその奥には智恵子の杜公園が整備され、鞍石山(くらいしやま)から安達太良山(あだたらやま)と阿武隈川が同時に眺められます。  館内には智恵子の油絵やデッサン、紙絵などの作品のほか、「婦人週報」のアンケートや手紙なども展示されています。特に紙絵は、色紙や包装紙、薬包紙など身近な紙を使い、マニキュア鋏で大胆かつ繊細に切り抜き、斬新で鮮やかな色遣いで、生命の躍動が力強くイキイキと表現され、見るものを惹きつける魅力にあふれています。対象も身の回りのありとあらゆるものを貪欲に切り抜き、智恵子によって新しい命が吹き込まれ、野菜も魚も花もイキイキと台紙の上に収まっています。  智恵子は1886(明治19)年、酒造業を営む斉藤(のちに長沼)今朝吉(けさきち)・せんの長女として生まれ、日本女子大学校卒業後は洋画家をめざして東京で学んでいました。26歳で『青鞜』の表紙絵を描き、彫刻家の高村光太郎と初めて出会いました。その後、光太郎のアトリエで生活を始めますが、33歳のときに父・今朝吉が亡くなり、10年ほどで長沼家が破産、一家は離散します。当時女性としては珍しい油絵の制作などに励んできたものの、なかなか思うように評価されず、また実家の破産という心労も重なり、46歳のときに統合失調症の兆候が現れました。50歳で入院、1937(昭和12)年頃から病室で紙絵の制作を始め、1938年に53歳で亡くなるまでに千数百点もの作品を残しています。  昨年100周年を迎えた『青鞜』創刊時、女性の人権を認めない明治憲法のもとで、女性たちがいかに自分らしく生きるのか、悩み、たたかってきたことに思いをはせ、紙絵に込められた智恵子の声に耳を傾けてみませんか。

▲智恵子記念館

▲智恵子の生家。当時の生活用品などを展示し、来館者に公開しています

ミュージアムメモ
所在地/ 〒969−1404 福島県二本松市油井字漆原町36
交通/ 定期バス、福島交通JR二本松駅入口乗車八軒町下車
開館時間/ 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日/ 水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入場料/ 高校生以上400円(団体350円)、 小中学生200円(団体150円)
問い合わせ/ 0243−22−6151