福島県内被災自治体訪問(5月30日~31日)
原発事故からの復興めざして住民を支える自治体関係者の決意を語りあう
福島県内被災自治体訪問(5月30日~31日)
福島第一原発事故から1年2か月。5月30日・31日、福島県本部と自治労連本部は、福島県内の被災自治体を訪問し、組合員から寄せられた義援金を届けるとともに、憲法キャラバンの一環として福島原発事故対策と福島復興策について懇談を行いました。30日は、福島県本部笠原委員長、鈴木書記長、安齋執行委員、本部から山口祐二副委員長と松繁憲法政策局長が参加しました。
第1日目(5月30日)
◆富岡町訪問、東電への賠償等について懇談
富岡町では、滝沢参事と懇談しました。福島第2原発が立地する富岡町は、震災で死者108名、行方不明3名を出すなど、深刻な被害を受けた上に、原発事故により全域が警戒区域となり、町民が県内に1万1千人、県外に5千人がそれぞれ避難しています。
役場は郡山市に置き、仮設住宅の立地するいわき市、三春町、大玉村に支所を設置。130名の職員が町民の生活を支えています。県外避難の住民には月2回発行する広報を送付し、絆を保っています。
町内は、町北東部の帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)、居住制限区域(年間被ばく線量20ミリ超え50ミリシーベルト以下)に区分されると見込まれ、早期の帰還は難しい状況に置かれています。東電による賠償が新たな避難区域再編に伴い格差を生み、町内が分断される懸念があります。町は、避難区域再編に伴う財物補償には全区域差別なく全損扱いにすることを強く求めています。
除染は国直轄モデル事業で、学校グランドなどを鹿島建設が行いました。また、長引く避難生活の中高齢者を支えるため、郡山市から土地を賃借し、特別養護老人ホームの開設を準備しています。引き続き、国に対する要望を強めるとともに、東電に対して町として賠償を求める意向が表明されました。
◆浪江町 2014年に帰還する目標と決意を語る
空間線量が3.14マイクロシーベルト/hにのぼる浪江町は、二本松市の県男女共生センターに役場機能を移しています。舞台楽屋控室を利用した町長室で馬場有町長と懇談しました。職員は建築現場の足場に使う単管を利用して配線と電灯を設置し、舞台を改造した狭い事務室で懸命に仕事をしていました。避難した住民が住む福島市、いわき市、南相馬市、桑折町、本宮市に出張所を置き、175名の職員が住民のくらしを支えています。
町の沿岸部は大きな津波被害があり、死者290人、住宅660戸が全壊しています。町民の中には、津波に流された墓地の再建を望む声が多く、公営墓地公園の建設を検討しています。
県の調査によると県外44都道府県に避難した7千人のうち、そのほとんどが浪江町に戻らない意向を示すなど、放射性物質による深刻な汚染が地域の絆を断ち切る過酷な実態が語られました。
町長は、国が事故時にスピィディーのデータを示さなかったため、放射線量の高い地域に向けて住民を避難させてしまったことに強い憤りを表明しました。国の事故対策に不信感が募り、事故後浪江町仮役場を訪問した原子力保安院の職員に、思わず「原子力不安院」と評したことも語られました。
国への要望では、①生活と生業再建のビジョンを速やかに示すこと、②賠償にあっては地域に分断を持ち込むような格差政策を持ち込まないこと、③除染は、地元雇用を確実に行うこと、④簡易水道の復旧等ライフラインの確保に全力を尽くすことなどをあげました。
さらに、原発ゼロを求める決意が強く表明されました。その上で、住民の健康対策として、健康管理手帳の発行を始めたこと、被曝線量の低い沿岸部に2014年をめどに帰還する目標と決意が語られました。
◆二本松市「原発依存は直ちに改めるべきだ」
二本松市では、三保恵一市長と三村部長と懇談しました。二本松市では、①安全・安心のまちづくり、②地域経済の持続的な発展、③人づくり、地域づくりを掲げて復興をめざす基本方針が説明され、実現のため、放射性物質の除染と健康管理、食品の安全のため全力で取り組んでいます。
復興のために国に第一次180億円、第二次120億円の予算要求を行ったものの、採択されたのは一次2250万円、2次1400万円に過ぎなかったことをあげて、「被害の著しい地域」を盾に放射能被害を軽視するなど、復興庁が「査定庁」となっている実態に強い怒りを表明しました。二本松市では、除染を当初の5年計画を2年に短縮して実施することとし、精力的に取り組んでいます。355の市内行政区のうち、すでに3分の1の地域に「仮置き場」を設置し、市街地でも除染に取り組んでいます。
大飯原発再稼動に前のめりになる政府の姿勢に対して、「私はどこの政党にも属さない市民党。どこからも献金を受けていない自由な立場」であり、その立場から「原発に依存する政策は直ちに改めるべきだ」と強く主張されました。
◆飯舘村「5年後に希望する全村民の帰還実現を」決意語る
空間線量0.88マイクロシーベルト/hにのぼる飯舘村は、福島市飯野支所に役場機能を移しています。飯舘村では震災による死者は1名でした。しかし、村内全域が放射線量年間20ミリシーベルトに達する恐れがあるとして、計画的避難地域に指定され、6月に福島市に移転を行いました。
懇談で菅野典雄村長は、災害で集団移転をした三宅島や山古志村の経験に学び、できる限り村の一体感を重視する対策をとってきたことを語られました。県外避難は、530人にとどまり、村をゴーストタウンにしないために、村内の7社に操業を続けてもらい、400人の雇用を飯舘村に確保しています。困難な中でも操業を続ける菊池製作所は、昨年11月ジャスダックに上場を果たしました。多くの村民が飯舘村内の事業所に避難先の福島市から通勤して生計をたてています。また、緊急雇用創出基金を活用し「いいたて全村見守り隊」を組織して村の防犯につとめるとともに雇用対策として活用しています。村民のくらしの基盤を守ることを大切にする村の基本方針を実践しています。
菅野村長は、「①これほどまでに深刻な被害をもたらした原発事故にもかかわらず、国の危機管理があまりにもお粗末であったこと。にもかかわらず、東電も国もいまだに『おごり』があることに強い憤りを感じる。②自然災害と放射性物質による被害は全く異なる。自然災害は住民の団結で克服できるが、放射性物質による被害は住民を地域間・家族間、夫婦間にも分断を持ち込みばらばらにさせる。③その深刻な放射性物資による被害を政治家や国の官僚は理解できていない」と怒りを込めて語られ、飯館村はマイナスからの出発であるが「5年後に希望する全村民の帰還実現」をめざして全力でがんばる決意が表明されました。
◆川俣町「脱原発以外に選択肢はない」
川俣町では、古川道郎町長、永田接副町長と懇談しました。川俣町では、震災により役場や学校など建物被害があったものの、より深刻な被害を受けた双葉町、浪江町の被災者を受け入れ、5千食の非常食の準備に追われるなど、沿岸部からの避難者を支援してきました。その後、福島原発事故の深刻化に伴い、3月19日までに双葉町からの被災者はバス50台で川俣町から埼玉県に避難しました。その渦中、川俣町の山木屋地区(350世帯1252人)が計画的避難区域となり、川俣町内に7割が、その他の方は県外に移転しました。
古川町長は「早く除染を終わらせて、安全、安心な地域にしないと人口が流出する」と危機感を募らせるとともに、①国は除染など事業施行に市町村の裁量と独自性をもっと認めるべき、②復興庁の機能はワンストップになっていない。もっとスピード感を持って復興課題に対応すべきとしました。
その上で、「脱原発は大切だと思う。使用済核燃料の最終処分ができない原発の実態を見た時に、脱原発以外に選択肢はない」と表明されました。
◆伊達市 住民説明を重ねて除染をすすめる苦労
伊達市では、半澤放射能対策政策監付次長、田中放射能対策課長と除染問題について懇談しました。伊達市では、昨年5月議会の了承を得て、10億円の専決処分でいち早く放射能対策に乗り出し、除染、ガラスバッジの提供、教室へのクーラー設置に取り組みました。市の除染対策は、アドバイザーである宍戸氏、田中氏の指導のもと、放射能対策を他市に先駆けて実践し、環境省の担当にもその経験を伝え、国の除染対策に反映させています。
除染した廃棄物を地域の仮置場に保管するため、仮置場候補地を市有地で提案しましたが、ことごとく住民の反対で断念に追い込まれました。そのため、「住民発意」による仮置場確保を提起して議論を進め、その結果7カ所が確定し、住民の理解の深まりとともに今後さらに増やすとしています。この間の住民説明会は、83回に及んでいます。除染は、当初地元建設業者が当たりましたが、除染規模の拡大に伴い、人員と資材を豊富に確保できる大手ゼネコンに依頼せざるを得ない状況で、今年度は、清水、西松、大林、ハザマが請負っています。
第2日目(5月31日)
31日は、福島県本部から酒井、島田副中央執行委員長、引き続き安齋執行委員の参加で訪問懇談を続けました。
◆相馬市訪問、災害復旧作業について懇談
相馬市では、宇佐美企画政策部秘書課長、横山課長補佐と懇談しました。地震・津波により、死者458人、住宅全壊・半壊2028棟という甚大な被害に見舞われた相馬市は、放射性物質による汚染は0.29マイクロシーベルト/hと相対的に低い状況にあります。
災害瓦礫は、隣接する新地町とともに国直轄で市工業団地内に設置する施設で処分することが決まっています。農地の復旧は東京農業大学の支援を受けて行うとともに、新たな農業の担い手として、複数の農業生産法人を立ち上げることができました。現在全国の自治体から16名の技師が派遣され復興事業にあたっています。各施設の災害復旧事業や防災集団移転事業などは概ね順調に採択され、復旧復興に向けて確実に歩み始めています。
◆新地町「公示価格の8割超で被災した土地の買い取りを決めた」
新地町では加藤憲郎町長、佐藤副町長と懇談しました。地震・津波により、死者116人、町内面積の5分の1に及ぶ904ヘクタールが浸水、住宅600戸を全半壊した新地町では、他自治体から9名の派遣職員の支援も受けながら「住まいの再建」を重点に、1月24日に決定した復興計画に基づき、災害危険区域380世帯集団移転に着手します。速やかな集団移転を実現するため、昨年12月にいち早く、公示価格の8割超で被災した土地の買い取りを決めました。また、自力での住宅再建が困難な町民のため、都市再生機構と災害公営住宅に関する協定を結び、中層鉄筋コンクリート造の住宅30戸を建築することとしています。
また、浸水した農地の復旧は困難と判断し、内閣府の「環境未来都市構想」の選定を受け、農地でメガソーラー発電と植物工場の事業に取り組むことにしています。こうした事業に着手できるのも、放射性物質による汚染が相対的に低かったことによります。原発事故被害の重軽が、その後の復興の状況を大きく左右していることが明らかになりました。
◆南相馬市「原発の危険性を訴えることは市民の安全・安心に責任を持つ首長としての責務」
南相馬市では、桜井勝延市長、木村商工労政課長と懇談しました。南相馬市は、震災・津波で死者926人、3665世帯が住宅被害を受ける甚大な被害を受けました。その上、福島第一原発に隣接していたことから、相次いで避難指示が出され、市の人口7万1千人のうち、1万人を残して避難する極めて困難な事態に置かれました。現在は、市内居住者44293人、市外避難者20399人、転出者5015人となっています。4月16日に警戒区域及び計画的避難区域が、避難指示解除準備区域及び居住制限区域及び帰還困難区域に見直され、市内のほとんどの地域に自由に立ち入ることができるようになりました。警戒区域が解除された地域では、昨年3月11日の地震津波被害の惨状がいまもそのまま残されています。また、市内の水田には一切作付けがされていません。
今の国政については、霞が関の役人や財務省に牛耳られている現政権への強い憤りを表明するとともに、大飯原発再稼働に向けた福井県の県内避難計画について「ナンセンス」と強く批判しました。桜井市長が参加する「脱原発をめざす首長会議」の活動について、「原発の危険性を訴えることは、市民の安全・安心に責任を持つ首長としての最低限の義務」としました。
木村商工労政課長は、高い放射能から逃れ家族が南相馬を離れる中、市役所で働き続けたことを「自宅単身赴任者」と表現しました。こうした自治体職員の頑張りに、桜井市長は「困難な中でも役所を残し、踏みとどまるのが自治体職員の責務ではないか」と語ります。いまなお先の見えない南相馬市で、市民と自治体労働者の奮闘が続いています。