自治体労働運動資料室
民主的自治体労働者論アーカイブ
【エピソードC】憲法キャラバンの各地の取り組み
① 北海道自治労連は、札幌市の上田市長と懇談。上田市長は「9条は大切だと思っている
全会派から平和事業をもっとしっかりやれと言われ、今年度予算は3百万円から1千万円に増やして平和事業をすすめたい。8月は平和月間とし学校も休みとなっているので、戦争体験者の話を聞く場を設けて、子どもたちに感想文を書いてもらおうと計画している」など、熱く話してくれました。
② 栃木県事務所は、野木町と壬生町を訪問。憲法問題では、自民党新憲法草案の内容から議論が弾み、町当局から「地方自治についてもこんなに影響があるとは」と驚きの声が出され、「憲法は自治体の仕事を決めていく基本であり、これからは関心を持ち大いに意見交換しなければならない」と懇談しました。壬生町では副町長から「改めて憲法問題を考えてみたい。新しい風を吹き込んでもらった」と訪問に歓迎を表明しました。
参加者からは「自治労連の取り組みに確信が持てた」「今後も憲法問題では、県労連も含め定期的に懇談することが大事」との感想が出されました。
③ 福井県事務所は小浜市、敦賀市、越前市、鯖江市を訪問。それぞれ総務部長、企画財政部長らが応対し、2人の部長から個人の立場だとしながら「憲法をくらしにいかす京都府政の時に学生時代を過ごし、ケースワーカーとして憲法25条を生かすことから始まった。9条を変えることに反対」「自治労連の資料は率直に受けとめられる。9条は変えてはいけない」と表明しました。
④ 大分県事務所は別府市、宇佐市、大分市、日田市、大分県、佐伯市を訪問。大分では、これまで対県交渉での憲法要請はしていましたが、憲法キャラバンは初めてでした。
佐伯市では、憲法に関しては「合併後、この6月に再度議会に平和都市宣言を出す。佐伯市は海軍基地があったところで、今は平和記念館があり、平和論文の発表などをやっている」と語り、懇談の中では高知県知事との懇談で、憲法を職員研修に取り入れるよう要請した話をしたら「佐伯市でも職員に憲法の研修を行いたい」と即答されました。佐伯市も含め、各市では平和の問題に積極的に取り組んでいると感じたキャラバンとなりました。
⑤ みえ自治労連は、三重県および14市15町全ての関係者と懇談。三重県副知事との懇談では、初めて青年保育士が発言。これに対して石垣副知事は、個人的な意見と断りながら、「私は戦後生まれで戦争は知らないが、叔父を戦争で亡くしている。70年間何が素晴らしかったかというと、戦争がおきなくてよかったことだ。平和は大事である。現在国会で安保関連法案が審議されているが充分議論し、国民に丁寧に説明すること、そして平和国家をしっかり引継ぎ、厳格な運用をすることを望んでいる」と述べました。
⑥ 沖縄県事務所は、沖縄県労連とともに第7次憲法キャラバンを実施。浦添市の松本哲治市長は、憲法について「国のあり方の根幹、形そのもの。くらしの根幹ですね」と評価し、「憲法のありがたみ意識せずに来られた。疑問が起こらない、知らないままではこわい。知ってはじめてこれは守ろうとか、ここは変えようとかの話になる」「(憲法順守義務を宣誓して入職している公務員の新人研修については)新人研修はやらないといけない」と応えました。
⑦ 島根県事務所は2009年から8年連続で全自治体を訪問。自治労連が2015年に全国で取り組んだ「憲法をめぐるメッセージ」には、奥出雲町・美郷町・邑南町・吉賀町の首長からメッセージが寄せられ、このうち奥出雲町では、勝田康則町長が定例議会で「政府に平和主義の理念に基づき、二度と戦争を起こすことなく、国民の安全確保に努めるよう求める」と表明したことが報告されました。
⑧ 鹿児島自治労連は、2014年から2016年にかけすべての自治体を訪問。奄美新聞に大きく取り上げられるとともに、霧島市の平野貴志副市長は「9条があるから侵略も、されることもなくきたと思っている。いままでの情勢とこれからと外国の事情が違う。国を守っていくにはどうしたらよいのか。『9条改正』を前提にするのはいかがなものか」と率直な思いが語られました。
⑨ 岐阜県事務所は、『戦争と自治体』(京都自治労連・自由法曹団京都支部 作成)を自治体首長に進呈し、38自治体で懇談。郡上市長からは「住民の安全を守るのが自治体の使命。安保法は自治体に無縁ではない」「今の憲法があることは大事なこと。安保法は従来の国の解釈を超えている」の意見表明がありました。
⑩ 静岡自治労連も毎年憲法キャラバンを実施。湖西市の三上市長は、緊急事態条項の必要性について「災害時も災害対策基本法で対応できる」と明言しました。また、弁護士らとともに戦前ナチスドイツがいかにして権力を奪取したかの勉強会をおこなったと言い、「緊急事態条項は全権委任法だ」と述べました。
⑪ 福島では、東日本大震災での福島原発事故から4か月を経過した7月上旬、住民が長期の避難生活を強いられている15市町を訪問。富岡町では、三瓶博文副町長が、大地震と大津波ののち、刻一刻と原発事故の深刻さが増すなかで、3月12日に川内村内へ避難し、さらに16日に郡山市内へ避難した模様を次のように語りました。
「人口2900人の川内村に、富岡町の避難者6000人(全人口は16000人)がお世話になりました。着の身着のまま、食料もなく、村民がコメを出し合って炊き出ししていただきました。朝昼晩おにぎり1個の生活でした。川内村ではまったく通信手段が途絶え、情報源はテレビだけ。爆発がおき、テレビから川内村も危ないことがわかりました。町長と村長が相談して、16日にとにかく町民、村民を連れて逃げよう、当てはないけど、郡山市にある県の施設『ビッグパレット』に向かおうと。国から避難勧告や指示があったかもしれませんが、自分たちには何も伝わっていませんでした。すべて町の判断です。町内のバスを総動員し、自家用車に分乗して逃げました。この『ビッグパレット』には、最大で2500人が避難しました。しかしこれだけの大人数をコントロールするのは不可能でした」。
原発の水素爆発による放射性物質が、風向きによって北東方面に拡散していたこと、汚染の強い方向に逃げていたことが後になってわかります。
同じように、川内村でも、飯館村でも、沿岸町村からの避難住民を受け入れるために、屋外で炊き出しをし、救援物資の仕分けをしていた人たちの頭上に高濃度の放射性物質が降り注いでいたことが、後になってわかるのです。このような情報を政府は測定によって知っていながら、隠していたためです。
川内村では、遠藤雄幸町長が「いつ終息するかわからない精神的ストレスはたとえようがありません。住民から、最後に『いつ戻れるか』と聞かれるのです。僕自身も不安です。2年3年住まなかったら自治体そのものが崩壊してしまうと思うのです。川内村は7-80%が森林です。汚染された森の中で作業ができるのか。切り出しても用材としての価値があるのか」「小学生、中学生はやがて高校生になり、高校生は大学生になる。その子どもたちが川内村に戻ってくるのか。せめて郡山市内に避難した子どもたちを集めて、川内の子どもたちとして育てたいと思った」と語りました。
⑫ 岩手県では、岩手自治労連が加盟する「国民大運動岩手県実行委員会」の「憲法を活かした安心・安全な地域づくり」のための自治体要請キャラバンを実施。野田村の小田祐士村長は「守るべきものは守らねばならない。安倍の憲法改正は危険」と明確にそして率直に語ってくれました。また他の市町村長も異口同音に「96条改正は到底認められない。大事なことを変えるのに半分でいいのか。ハードルは下げるべきでない。本末転倒。危険極まりない」など率直に語っていただき、自治労連の立場と共有することができました。