自治体労働運動資料室
民主的自治体労働者論アーカイブ
東京都職員組合結成趣意書
=自治体労働組合の結成と東京都職員組合結成趣意書の意義=
自治体労働者の中で戦後いち早く労働組合結成に乗り出したのは、戦前からの組合活動の経験を持つ現業労働者や交通関係の労働者でした。
東京では東京市従の中心的な活動家が1945年9月には組合再建に向けて動き出しています。そして同年11月23日、交通局関係を除く1万余名の健康保険組合被保険者を対象に東京都従業員組合が結成されました。交通局関係はその前日に戦前の東京交通労組を再建する形で東京交通労働組合が結成されます。
同様に大阪でも、戦前の労働組合分裂を乗り越えて、12月5日に大阪市従業員組合結成大会が開かれました。
現業や交通関係とは違い、一般職の地方公務員は、戦前は労働組合を結成することができませんでした。しかし、1945年末ごろには非現業の職員のあいだでも組合結成の機運が高まっていきます。非現業職員の組合結成については、東京、大阪などの大都市部では交通や市従の組合の強い働きかけもありましたが、それと同時に、占領軍が戦後の民主化の柱としての労働組合の積極的な育成政策をとったこと、また戦後の経済の混乱と物資の不足に対する労働者要求を背景に、民間でも急速に労働組合結成のうごきが進んでおり、それらを背景に「全職員の賃金引き上げへの強い要求と民主化への使命感にかられて、組合結成が行われた」(「自治労運動史87ページ」)といえます。
その先駆的存在が東京都職員組合です。1946年1月22日、東京都職員組合が結成され、その後市役所、つづいて府県に続々と組合が結成されていきます。1945年12月から翌46年1月にかけてだけでも、立川市従、徳島市職、川崎市従、山形県職、高崎市職、足尾市職、米子市職、京都市職、小樽病院、銚子市職、岐阜市職、高知市職、大垣市職が結成されました。県ではその後46年2月に埼玉、千葉、大分、3月に福岡、4月に群馬、栃木、5月に北海道、愛知と組合結成が進んでいきます。
東京都職員組合の結成が注目されるのは、結成が全国の自治体労働者に大きな影響をあたえ、また自治体労働組合の全国組織づくりの面でも大きな影響を与えたことがあります。同時にその結成趣意書の先駆性が、民主的自治体労働者論の生成の探求にかかわって注目されます。
趣意書には、戦後、民主的日本の建設をめざし、旧来の官公吏が持っていた特権的地位を否定し、国の主人公となった国民への「奉仕者」として生まれかわろうとする当時の自治体労働者の真剣な意気込みが示されているといえます。同時に重要なことは、この時期の自治体労働者が自らの生活と権利を守ることと住民の「公僕」としての職務を果たそうとすることを矛盾なく統一してとらえていることです。
公僕という言葉は戦前の比較的早い時期から「civil servant」「public servant」の訳語として紹介されていましたが、大正デモクラシーの中で一部の知識人の中で積極的な意味を持って語られています。しかし、ここでの公僕は日本国憲法の「全体の奉仕者」と同じ意味で語られているのではありません。都職結成時は日本国憲法は制定されておらず、その草案も示されていませんでした。そのため、当時の非現業の組合が「公僕」たらんと掲げたことの意味は、当時の社会背景も含めてさらに探求されることが望まれます。
なお、都職以外で組合の綱領などに「公僕」という言葉を掲げたのは、自治労連本部の調べでは埼玉県職と商工省職員組合があります。
埼玉県職員労働組合(1946年2月4日結成)は、大会で決定した綱領で、①埼玉県庁の民主主義的改造、②職員の最低生活確保、③県民の公僕たる自覚に基き公務の積極的完遂、を掲げています。この綱領について「県職30年のあゆみ」(埼玉県職員組合発行、1978年3月4日)は「この綱領や要求事項は当時の時代を反映して興味深いものがあります。同時に今日の運動に一貫してつながるものとして生活要求と同時に県庁の民主化と公僕たる自覚に基き公務の積極的完遂を掲げていることは感銘深いものがあります」と評価しています。埼玉県職の規約は東京都職を参考とし、結成大会にも都職委員長の占部秀男、書記長外尾文吉らが参加しています。(同書より)
また1946年5月17日に結成された商工省職員組合(今の経済産業省の本省の組合)は、その綱領の第一項に「我等は国民の公僕たるの使命に徹し、商工行政の民主化を推進すると共に我国産業経済の再建に挺身せんとす」を掲げています。
しかしその綱領や規約には、官吏意識がかなりはっきりと認められます。
組合関係史の中で「公僕」という言葉を使った例がほかにあるのか、ご存じの方は自治労連本部までお知らせください。
- カテゴリー:
- 民主的自治体労働者論
- 年代:
- 1940年代