第136館 賞は有名でも本人は知られぬ作家
2013年8月号 Vol.477
大阪府大阪市 直木三十五(さんじゅうご)記念館
賞は有名でも本人は知られぬ作家
「芥川賞」と並ぶ文学賞として知られる「直木賞」。賞が有名でありながら、作家・直木三十五自身や作品についてはあまり知られていません。
直木三十五は1891年、現在の大阪市中央区に生まれました。本名は植村宗一。20歳の時、早稲田大学に入学するも、学費に困って中退。関東大震災後、帰阪して「プラトン社」に勤務、娯楽雑誌『苦楽』の編集を担当、この頃から大衆小説を書き出します。1930年から『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に連載した『南国太平記』で一躍人気作家に。しかし同時に借金や病気などを抱え、1934年に43歳という若さでその生涯を閉じます。翌年、友人作家である菊池寛が「芥川龍之介賞」とともに「直木三十五賞」を創設し、以降現在まで年2回発表され続けています。
ペンネームの「直木」は本名「植村」の「植」を分解して作ったもの。「三十五」は直木が31歳になった時、「直木三十一」とし、以降は年齢にあわせて変え、「三十五」で落ち着きます。
直木三十五記念館は、「賞に名を残す大作家なのに、当の本人はほとんど知られていない」と、地元の有志たちによって設立準備委員会が立ち上げられ、2005年2月にオープンしました。複合文化施設「萌(ほう)」2階奥にあり、「記念館」より「記念室」という印象です。直木は晩年、横浜市金沢区富岡に新居を建てましたが、老朽化などを理由に2011年に取り壊しされたことから、家具の一部がこの記念館に移されています。直木は寝て執筆する習性があったことから中央は畳部屋。火鉢や文机など当時の直木の書斎が再現され、作品を読むこともでき、直木の視点で来館者にくつろいでもらおうというコンセプトが感じられます。
直木のこうした資料に触れることができるのは、今となってはこの記念館のみ。守り続けていただきたいと思います。
▲複合文化施設「萌」の外観。イタリアンレストラン、洋服店などが入っています
▲館内の様子。畳部屋は靴を脱いで上がれるようになっています
ミュージアムメモ