第41録 敬作・イネ・長英 3人を結んだ宇和島藩主
2019年8月号 Vol.549
卯之町の歴史を散策する
敬作・イネ・長英 3人を結んだ宇和島藩主
愛媛県西予市宇和町卯之町(うのまち)
▲1882年、町民の寄付により建築された開明学校
卯之町と聞けば、3人の先駆者が頭に浮かびます。医は仁術を地でいったと伝えられる蘭医の二宮敬作。敬作から医学を学んだ日本最初の女医・楠本イネ。長崎出身のイネは母親から女が学問すれば不幸になると猛反対され、長崎を離れました。そして敬作にかくまわれた蘭学者・高野長英。この3人ともシーボルトにつながっています。敬作と長英はシーボルトの門弟、イネはシーボルトと遊女との間に生まれた娘です。
この偉人たちを結んだのは宇和島藩主です。歴代藩主は学問に深い理解を示しました。シーボルト事件に連座した敬作は藩主の内命もあり、卯之町で開業しました。また当時の藩主・伊達宗城は、国事犯、重罪犯として幕吏に追われていた長英を秘かに迎え、藩士に蘭学を学ばせ、蘭書の翻訳や砲台設計を託して助力しました。
うだつ・白壁 出格子の街
JR卯之町駅を降り、国道56号を横切ると、ほどなく宇和島街道(江戸時代)に入ります。その一画が卯之町の古い街並みです。09年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
敬作の住居跡と長英の隠れ家(県指定文化財)、ここはイネが起居した敬作の離れの一部です。残念ながら、長英が火急の時に身を隠したからくり仕掛けの部屋があった庄屋・清水甚左衛門宅は残っていません。
また江戸時代創業の旅館や造り酒屋、1770年建築の末光家住宅(市指定文化財)などに出合うことができます。
この路地のあたり、背の高い青い眼のイネの歩く姿があったでしょう。往時がしのばれます。
町民がつくった開明学校
さらに西に足をのばすと、木造2階建、擬洋風建築の開明学校があります。私塾申義堂(しんぎどう)(現存)を校舎として開校、現存する校舎は1882年に建設されました。現在は教育資料館として、明治初期の掛図―伊呂波(いろは)図、漢字の単語図、連語図をはじめ、教科書など昭和初期にかけての資料約6000点を収蔵展示。敗戦まで国民学校で天皇・皇后の「御真影」や教育勅語を厳重に保管した奉安殿の写真がありました。二人掛けの長椅子・長机の教室も往時のままです。予約をすれば袴姿の先生から明治授業体験ができます。
街並みガイドは1週間前までに開明学校に予約が必要です。
▲高野長英が二宮敬作にかくまわれた隠れ家の一部
▲開明学校、当時のままの教室