あの時、いま、これから 3・11被災地からの証言
「危ないから逃げろ」の声で我に返り助かった〝いのち〟
阿部 勝さん
当時 陸前高田市都市計画課補佐
現在 陸前高田市地域振興部部長
あの時
大きな土煙と轟音。建物、人を飲み込みながら津波が目の前に迫ってくる。職員の多くが庁舎前の公園に避難していた。しかし、津波が間近に迫る気配に多くの職員は市民会館に移動した。
私は、その様子を見ながら、体が固まってしまった。津波がとうとう庁舎に襲いかかったその時、誰かが「ここも危ないから逃げろ」と叫ぶ声に、ハッと我に返った。
なんとか屋上まで上がりきったが、水流はどんどんと階段を駆けあがってきた。波に飲み込まれる同僚の姿を見ながら、どうすることもできなかった。津波に流されていく職員・市民を目にして、私は呆然とするしかなかった。
その後
震災後に市民の方が私たちに対して、「自分たちは被災者になったけども、市役所の人たちは、ずっと受付とか業務をして被災者にもなれなかった」という感謝の言葉をいただいた。
やっぱり市民優先の市民のために働くのが、私たちの仕事だと思う。
陸前高田を見に来て「伝えて欲しい」
菅原 正弘さん
当時 陸前高田市税務課係長(副主幹)・陸前高田市職労委員長
現在 陸前高田市農業委員会事務局長 補佐
あの時、その後
4階建ての陸前高田市役所は全壊したが、屋上に避難した職員は助かった。向かいの3階建ての市民会館に避難した人は犠牲になった。陸前高田市ほど職員が犠牲になった自治体はない。家族を亡くした職員もいっぱいいる。その中でも、それを抑えて、市民のためにがんばるというのが自治体職員。みんなそうだと思う。
その後、いま
復興の10年間、職員、市民と一緒にとりくんできた。いろいろあったけど、みんなの助けがあって、ここまできた。震災から2~3年は、高田の現状を見て、災害の状況をみんなに伝えて欲しい。そういうことを感じていた。
今は、陸前高田はここまで復興したよと、見に来てもらいたいし、みんなに伝えてもらいたい。やっぱり、3・11を風化させないというか、次に引き継ぐというか、震災の教訓を残すということが、大事だと思う。
市役所の仕事は、市民のためにいい仕事をするというのが一番のやりがい。そういう気持ちを大事にしたい。
「なんで、あんたは生きているのか」市民のいらだちを受け止めて
小笠原純一さん
当時 大槌町教育委員会学務課学務班主任
現在 大槌町保健福祉課課長
あの時
揺れ始めて、間もなく事務所の電気が消灯。電話も使えない状況になった。とっさに、避難する住民のことを考えて、停電のなかで避難所開設の準備を始めた。
その後
約40人の仲間を失った。最愛の妻や夫、子どもを失い、天涯孤独になった職員もいた。避難所生活を余儀なくされている住民に困りごとなどを聞きに回った時、「なんで、あんたは生きているのか」と生きていることを咎められたこともあった。家族が犠牲になった人のいらだちからの、当たりどころのない言葉だったと感じている。
上司の「自分の命第一で町民のため自己判断で全力を尽くせ、責任はとる」を支えにしてきました。
いま
住民のみなさんが、いち早く安心して過ごせる通常の生活を取り戻すためには、我々が生き延びることが大事だと思う。そして、労働組合の連携などによって、地域住民のみなさんが心豊かに、そして安全に暮らしていける地域を築くことができるのではないかと思っている。
新規採用職員へ「志を持って」と伝えたい
金野 道程さん
当時 大船渡市職専従書記長
現在 大船渡市観光推進室課長補佐・大船渡市職委員長
あの時、いま
当時、被災はしているけど、仕事につかないといけない。家のことは置いておいて、仕事に専念しないといけない。「市民のためにすすんでやるというのが、自治体職員だ」の意思をもってみんな仕事をした。
一方で、そういう時に、無理をして仕事するには、やはり労働条件をしっかり維持していかないといけない。そこは労働組合としても、労働条件はちゃんと守らせる。その中で住民のみなさんのためにとりくんでいくということが大事だと思う。
震災からの復興とは、みなさん苦労されている生業の復興が一番必要だと思う。生業が再建されて、住民が安心して暮らせる街づくりに努めたい。
新採のみなさんへ
新規採用職員はみんな志をもって入ってくると思うので、そういう気持ちを忘れずにがんばってほしい。その志のためにも「労働組合に加入してともにとりくんでいきましょう」と新規採用のみなさんにメッセージを送りたい。
まだ、終わっていない「復興を成し遂げたい」
西山 春仁さん
当時 大船渡市建設課 課長補佐
現在 大船渡市工事検査室室長補佐再任用職員
いま
3・11をどう伝えていきたいか。まだ固まっていない。復興は終わっていない、復興を成し遂げたいという思いが先。
42年間市役所で働いてきたが、震災後と震災前で変わった。震災前の35年間は、いま考えると準備期間だったと思う。自宅が被災して、家族の側にいれない辛さも感じたが、被災した職員全員が、本当にがんばった。住民の幸せのために働く自治体職員の職務の重さを、震災を通じて感じた。
新型コロナ感染症の医療従事者も、当時の私たちと同じ気持ちと思う。いざというとき住民のために、覚悟をもって働くことが必要だ。ただ、それを個人に求めるのは、非常に大変で、周りでそれを支えるしくみが大事。
私の場合、ときどき気持ちが折れそうになった。だけど、震災直後から全国から150人近い自治体職員が支援に来ていただいて、また、全国の仲間のみなさんがいてくれたおかげでがんばれた。非常時には、自治体職員を支えるネットワーク、しくみが大切だと感じている。