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3・11から現在、未来へ― 全国で仲間とともに歩む

災害に強いまちづくりを

▲全国交流集会で福島の現状について報告を行う笠原浩福島県本部委員長

東日本大震災がもたらした福島と千葉の現状を紹介します。また愛媛からはボランティアを通じた岩手との交流を紹介します。

ふるさとへの思い原発ゼロめざして ― 福島県本部

すすまぬ復興に「戻らない」住民

福島原発事故から10年になろうとしています。「安全でクリーンなエネルギー」と未来社会の象徴とされた原発ですが、核兵器と同様に存在してはならないものです。

除染がすすみ、国の財政支援の下、企業誘致が行われても、働く人がいない状態になっています。

今年1月の住民意向調査の結果では、「戻らない」と決めている住民の割合が浪江町で54.50%、大熊町で59.35%です。帰還した住民はほんの一握りで、さまざまな居住優遇策を打ち出して住民誘致を行っていますが、簡単にはすすんでいません。

現在、無償提供が継続しているのは1700人で避難者全体の5%に過ぎません。国は「除染なき解除」を始め、国と福島県は大熊町と双葉町を除く避難者への住宅の無償提供を打ち切りました。

大規模開発よりも健康・日常生活第一に

住民が帰ることができない「帰還困難区域」がまだ残されています。福島県は自主避難者に対して退去と家賃の支払いを求めており、国に言われるがまま住民を裁判に訴えるという対応をしています。

一方、国の政策となったイノベーションコースト構想では、廃炉、ロボットドローン、医療、航空宇宙などの新たな産業・大型開発をすすめています。被災者が願う「自然豊かで住民が親しむ地域社会の復旧」とは全く相いれないものです。

大規模開発することよりも県民の健康・日常生活を第一にすることが求められています。

▲「ふるさと津島を映像で残す会」が制作したDVD『ふるさと津島』で帰還困難区域の実態を学びました

岩手と愛媛つなぐ子どもたちの笑顔 西日本豪雨災害 ― 愛媛県本部

ボランティアに感謝 写真が岩手の仲間へ

岩手自治労連の仲間に愛媛から子どもたちの笑顔が届きました。

2018年の西日本豪雨災害に、「東日本大震災での恩を返そう」と三浦徹也・岩手自治労連副委員長(大槌町職委員長)を団長に3・11で被災した仲間7人が愛媛県宇和島市、西予市でボランティアや激励・支援行動などを行いました。

そのとき復旧作業を手伝った西予市の野村保育所が昨年11月に新しく完成。保育所のみなさんが感謝の写真などを送ってくれました。

「支援できてよかった」保育所の完成に喜び

写真とともに自治労連愛媛県本部の高尾佳孝執行委員長からは「先日、保育所の落成式と内覧会が行われた。被災当時から落成までの歩みが上映され、岩手からのボランティア作業の様子も映っていた」「当時の所長も『職員の疲弊が限界に達しているなか、手が回らなかった。日ごろ遊んでいた遊具が屋根の上に引っかかったままとなっていて子どもたちも心を痛めていたが、本当にありがたかった』と鮮明に覚えておられた」と保育所の近況と感謝が伝えられました。

団長の三浦徹也さんは「いただいた子どもたちの写真などを見て大変うれしかった。改めて当時を思い出し、職員みなさんのさまざまな苦労が報われて良かった。私たちも元気をもらった」と保育所の完成を喜びました。

▲愛媛でボランティアの支援を行った岩手の仲間

▲感謝を伝える野村保育所の子どもたち

防災の心構え世代をこえて残したい ― 千葉県本部

東日本大震災で千葉県沿岸部の旭市も津波で大きな被害を受けました。震災直後、自治労連千葉県本部はボランティアに駆けつけました。

当時、建設課にいた旭市職の石毛善博委員長は「想像を絶する光景に、呆然としてしまった。何から手を付けてよいのかわからなかった」と当時を振り返ります。避難者は一時2800人を超え、保健師や看護師は交代で24時間避難所に常駐し、住民の健康管理を行いました。仮設住宅の整備など、全職員が過酷な環境で勤務していました。

当時委員長だった林一美さんは、「10年前に『地震が来たら津波が来るもの』と考えていた人は多くなかった。この地域は、元禄地震など繰り返し津波被害を受けており、神社の石碑にも刻まれていた。先人の知恵をいかしきれなかった」と悔やみます。旭市は復興にあたり、住民と議論し高台移転ではなく、堤防の強化や避難所タワーや築山の整備、年2回の実践的な訓練の実施にとりくんでいます。「10年が経ち、記憶の風化を感じることもありますが、津波はいつか来る。この心構えを世代をこえて残したい」と語りました。

▲旭市の復旧ボランティアに参加した千葉の仲間(2011年)