〔85〕郷土の戦時記録 次世代に残したい
2021年12月号 Vol.577
郷土の戦時記録 次世代に残したい
千葉・勝浦市職 井上(いのうえ) 啓(さとし)さん
▲次世代に残すため、思いを熱く語る井上さん
勝浦市役所では毎年夏にロビーで平和展が開かれています。市所有の原爆パネルと合わせて展示されている赤紙や国民服などの当時の生活を伝える展示品の多くは、井上さんが長年かかって収集した私物です。ひときわ目を引くのは、国産第一号のレーダー基地のジオラマ展示です。井上さんの自作で電動で動きます。
日本初のレーダー基地を探す
地元勝浦で育った井上さん。大学では歴史を学び、戦時中に赤紙の配布業務などを担った地元勝浦の元兵事係に聞き取り調査をしました。配達先での家族の動揺の様子、戦後に遺族から責められたことなどが語られました。「兵事係の話は、今は役所の大先輩の体験として受け止めています。戦争遂行における行政の役割について、現在と戦時でどう違うのか考えるようにもなった」と言います。
レーダー基地との出会いは都市建設課時代。市内に設置されていたという日本初のレーダーの場所について問い合わせがあり、「日本初のレーダーが地元勝浦にあったなんて」と心を大きく動かされました。問い合わせた方と一緒に、写真を手がかりに何度も市内を訪ね歩きますが、場所の特定には至りませんでした。
その後、平和展で写真を展示したところ、市民から情報が寄せられました。レーダーの開発総責任者が隣接する御宿町出身であることがわかり、また、ほぼ同型のレーダーの操作をしていた元兵士からは設備の情報まで寄せられました。そして、新たに研究家が入手した海軍の実験記録から、ついに場所が勝浦市内の官軍塚と判明したのです。
集まる貴重な証言と史料
調査の過程で、米軍の大型爆撃機B24が勝浦港沖に墜落した事件や、特攻ボート「震洋(しんよう)」の勝浦への配備などの情報も集まりました。また、研究者ともつながり、米軍の資料から見た戦争の姿にも触れることになりました。
「ミリタリー・マニアと思われてしまうのですが、記録や展示物は、たくさんの方々から託されたもので、もはや個人の趣味の次元ではなくなっています。
沖縄の次は房総半島での玉砕戦が準備されていたことなど、100歳近い方々が経験を聞かせてくれます。その貴重な証言を今、とにかく記録し、次世代に残したい」と語ります。
▲一点一点収集してきた展示品
▲レーダー基地のジオラマアンテナに小屋がついていて全体が回転します
▲小屋の内部も当時の証言から正確に再現