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職員のいのち、健康を守ることは労働組合の〝使命〟

今、あらためて私たちの働き方について考えよう 和歌山・橋本市職労のたたかいの教訓から

長時間過密労働によって、大切な家族や友人、職場の仲間を失うことはあってはならないことです。仲間の公務災害認定に向けて労働組合として支援した和歌山・橋本市職労の窪田憲志さんに思いを聞きました。(7月8日に行われた自治労連第25回労働安全衛生・職業病全国交流集会で取材)

「まじめで良くしてくれた」先輩の過労自死

「もう20年以上前になるんやな」と、取材に応えてくれた橋本市職労の窪田憲志さんが切り出します。当時、窪田さんは32歳。2000年4月から組合役員専従になる直前の3月1日に、先輩組合員である辻田豊さんの訃報が飛び込みました。持病を抱えながら重要な条例の作成などに追われた長時間労働の末の自死でした。遺書には「私に相談にくる職員が何十人もいるが、私には相談できる人はいなかった」とありました。「まじめで、良くしてくれた先輩。自分も質問して辻田さんを頼っていた側だった」と窪田さんは顔に後悔をにじませます。

全国からの支援を広げ逆転で「認定」勝ち取る

訃報を受けて、橋本市職労は、大会で辻田さんの公務災害認定請求を支援していくことを決議しました。「自分は役員専従として、請求のための資料を集めたり、全国の会議や集会に飛び回って参加し、署名や支援を訴えた。はじめてのことで手探り状態だった」と振り返ります。

しかし、公務災害請求に、まさかの「公務外」の通知。遺族と弁護団、全国の仲間がさらに支援の輪を広げて、2004年に公務災害認定を勝ち取りました。「逆転で認定されたのは本当に幸運やった。職場も首長も協力してくれた。遺族や弁護士の『これが公務災害でないなら、何が認定されるんや!』の思い、そして全国の支援があったからこそやれた」と少しだけ笑顔が戻ります。

「失ってからでは遅い」なくしたい長時間労働

「正直、認定を勝ち取ったことを、関係者としては素直に喜べない。辻田さんは帰ってきませんから。やはり失ってからでは遅いんです」と率直に思いを吐露します。

「長時間労働をなくしたい。今も苦しんでいる仲間がいるが、なかなか是正できていないことに憤りを感じる。この前、コロナで保健師さんが長時間労働を国会に訴える動画を見たけど、本当にひどい実態だよな」と、自身の経験に重なり、窪田さんは涙ぐみます。職場の長時間労働是正が強く求められています。

「二度と起こさせない」組合の存在と役割が重要

「当時小学生の息子さんが書いた詩が注目されても『橋本市はブラック自治体』とイメージがひとり歩きするのは本意ではない。当時を知る者にとって、今も割り切れず、胸が苦しくつらい。そういった職場の思いや支援にとりくんだ組合の努力もあわせて知ってほしい」「職場でも当時のことを知らない職員が増えた。今回あらためて話せる機会があって良かった」と窪田さん。

「職場に労働組合があるかどうか。組合の存在がとても重要だ。こんな悲しいことは、二度と起こしてはいけない。これからも職場の働き方を少しでも改善させたい」と訴えました。

橋本市職員過労自死 公務災害認定の経緯

2000年3月に橋本市職員だった辻田豊さん(享年46歳)が過労自死し、遺族は公務災害申請を行いました。弁護士や労働組合で集めた膨大な資料を提出。当時の首長からも「本件は公務上に起因する災害であると思慮する」と過労状態を認める意見書が提出されました。しかし、2002年7月に地方公務員災害補償基金の和歌山県支部は「公務外」を通知。これに対し再審査請求を行い、全国で支援の輪を広げ、国会質問でも取りあげられて、2004年1月に「公務災害」と認定されました。

▲辻田さんの息子さんが書いた詩

▲公務災害認定のたたかいがまとめられた冊子

▲当時集めた署名とともに辻田さんの遺族(中央)と写る窪田さん(右)。2001年『自治体の仲間』8月号より

▲橋本市職労委員長 窪田憲志さん

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