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第90録 放浪、従軍作家から非戦の小説家へ

いい旅ニッポン見聞録2024年10月号 Vol.611

『晩菊』『浮雲』などを書き尽くした終の棲家

放浪、従軍作家から非戦の小説家へ

東京・新宿区立林芙美子記念館

▲林芙美子記念館。奥は夫・緑敏のアトリエ

『放浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子。47年の生涯最後の10年住んでいた家は、そのままの姿で林芙美子記念館となっています。

住まいも職も転々と放浪生活で生まれた名作

林芙美子は幼い頃、行商人の娘として木賃宿暮らしで各地を転々としました。恋人を追って一人上京し、風呂屋の下足番をはじめ職も転々。貧窮の底にありながら、タフな母キクの生命力を引き継ぎ、したたかに。彼女にとって書を読むこと、詩や童話を書くことは「心の避難所」でした。

各地を放浪するなかでつけていた日記をもとに書いた『放浪記』『続放浪記』は合わせて60万部超えの大ヒット。人気作家になっても弱き者の視点を持ち、1933年、共産党にカンパをしたとして治安維持法で中野署に9日間勾留されたこともありました。

戦争に加担、しだいに疑問

時局の中で戦争に加担していき、従軍作家として南京や漢口(現在の武漢市の一部)に一番乗り。さらに南方視察と、戦争を煽り、士気を鼓吹していました。しかし南方視察の頃から、しだいに戦争に疑問を抱いたようです。帰国して疎開先で「敗けぶりのうまさを考えなければならない時」と話して、特高刑事が訪ねてくるようになったこともあります。

新宿に家を新築 書きに書いた晩年

1941年淀橋区下落合(現新宿区中井)に新居を建て、敗戦後は憑かれたように家で『晩菊』『浮雲』など非戦小説を書きに書きました。心臓麻痺で亡くなった1951年前半だけでも4本連載という、書き尽くした生涯でした。

現在、新宿区立林芙美子記念館となったこの家は、奇跡的に空襲を免れた貴重なものです。記念館に表現者・芙美子を支え続けた画家の夫・手塚緑敏(まさはる)のアトリエがあり、ビデオや若干の資料を見ることができます。ここを訪れると、これまで無縁だった人も林芙美子が身近になるでしょう。

▲半障子の向こうに庭が見える書斎

▲井上ひさしの評伝劇『太鼓たたいて笛ふいて』公演パンフなど林芙美子の資料