安心してくらせるまちに 全国の仲間が経験と教訓を共有しあう 復旧・復興をとめるな
能登半島地震から1年 住民のいのちとくらしを守る交流集会
▲能登半島地震から1年以上が経ち、雪が積もる仮設住宅で避難生活を続ける住民(写真提供 能登半島地震被災者共同支援センター)
能登半島地震から1年、阪神・淡路大震災30年の節目に災害支援ボランティアや自治体の役割を共有し、教訓を学び合おうと2月11日に「能登半島地震から1年、住民のいのちとくらしを守る交流集会」をオンラインで開催しました。
魅力ある地域再生を住民と成しとげたい
交流集会には被災地の石川県珠洲市の泉谷(いずみや)満寿裕(ますひろ)市長も参加。被災地からのメッセージとして、「これまでの多大なるご支援に感謝申し上げる。珠洲市として、復興計画も公表できるところまで固まってきている。現在も新たな町のかたちづくりを地域住民と議論をすすめている。必ず魅力ある地域再生を住民とともに成しとげる」決意を語りました。
また、石川県労連の長曽輝夫副議長も参加。自治労連のボランティア参加への感謝とともに「阪神・淡路大震災の教訓がいかされていない。給付金が出ても物価上昇に追いつかず、支援制度の改善も急務だ。農林水産業などの基幹産業の復活や学校や保育、医療、商店などへの対応も重要。被災地・被災者への対応は基本的人権を守る視点ですすめないといけない」と報告しました。
災害支援ボランティア、自治体の役割を考える
特別報告で、ボランティアに参加した京都市職労の松下泰之さんは「災害派遣で感じたことは、人と人のつながりの大切さ。災害に強いまちとは何か。住民と自治体職員、ボランティアなどが想いを共有し、しなやかに対応していくことではないか」と話しました。
自身も能登の実家で被災した名古屋市職労の磯村和佳子さんも「名古屋市からのべ4000人が行政支援に入ったが、送り出した後はぎりぎりの人数で超勤をしながら職場を守った。平常時だけを見て効率化しても災害対応ができないことは明白。全国で人員増を勝ち取り、能登の支援ができるようにしていきたい」と語りました。
また、保健師として行政派遣を経験した東京・杉並区職労の三浦いづみさんは「災害派遣での経験と住民のくらしなどを見てきた平常時の経験を災害対策にいかすことが必要だ。災害支援の教訓は杉並区としても位置付けられ、人員管理方針も変わり保健師も増えてきた」と発言しました。
大震災の教訓を忘れずこれからの対策にいかす
神戸市職員として阪神・淡路大震災を経験した藤間和則さんは「大震災直後、多くの職員は何時間も歩いて出勤し、1週間近く帰宅できない日々が続いた。指揮命令系統も混乱するなか、住民のいのちと生活を守るために奮闘した」と当時を振り返りました。そして、このような状況にも関わらず市の総務局は地震発生5時間後には都市計画局と住宅局に被災地図の作成を指示、1月20日には国が神戸市を訪問し、区画整理を指導。「住民の反対を押し切りすすめた新長田の開発は、現在326億円の負債を抱えている。これは本来あるべき姿なのか」「80年代は行政職だけでも毎年100人以上が新規採用され人材育成も行われた。しかし震災から30年、市町村合併と行財政改革で地域から自治体職員が消えてしまった。自治体には人が必要だ」と藤間さんは訴えました。
このほか集会では、自治労連青年部が岩手や兵庫でとりくんだ大震災の教訓を学ぶフィールドワークが報告されました。
集会参加者の声
●神戸での惨事便乗型再開発のひどさを感じた。「創造的復興」とは被災者を無視した棄民政策に他ならない。
●避難所の劣悪な環境や支援不足、職員不足で負担が多くかかっているなど生の声を聞くことができた。国は災害対策を一番に対応してほしい。
●内容が濃くて良かった。非常時に職員としてどう関わるか。わが町に大規模地震が発生したときの対応も含めて現場で見直していきたい。
●1年たった能登半島の状況が詳しく聞けてよかった。阪神淡路大震災や東日本大震災の時を振り返ってみて、改めて自治体の役割、自治体職員の力が必要だと感じた。
▲全国の仲間が被災地へのボランティアを続けてきました
▲泉谷満寿裕市長