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レディーマドンナ 季刊自治労連2014新春号より

(入稿用)レディマドンナ写真

フットワークの軽さと

顔の広さは

男性にも負けません!!

 

 和歌山・橋本市職労書記長 赤坂由美

 私が橋本市の臨時職員として市役所庁内に入ったのは1986年。そして、結婚・出産で休業中に「保育士が足りないのですぐ来て」との声がかかり、乳飲み子をおいて保育士として復帰。1992年に正規職員の保育士として採用され、現在に至っています。

 正規職員として働き始めるなり、半ば強引に…いえいえ、自分の意思で職員労働組合に加入し、そのなかの保育部会の一員として、日々子どもたちのため、働く私たちのため、しいては橋本市の未来のためにと、自分にできることを精一杯がんばってまいりました。そうこうしているうちに、組合役員から抜けることなく21年(早っ‼)経ってしまいました。

 持ち前のフットワークの軽さと、誰とでもすぐにうちとけられるフレンドリーさから全国を走り回り、情報収集。保育行政の課題は解決するどころか山積していくばかり。橋本市は、近畿のなかでもド田舎なわりに、コスト削減で保育行政から手を離そうとする動きには、さっさと波に乗ってしまったわけです。幼保一元化5カ年計画という無謀な計画、5年間で27園の公立保育園と幼稚園を一元化し、公設民営で行い、最終的にはひとつも公立の園が残らないという計画です。住民との反対運動、計画をストップさせるための請願署名を大雪のなか手足を凍らせながら一軒一軒集めにまわったり、議員さん一人ひとりに自分たちの思いを聞いてもらったり、その結果、計画は大幅に遅れています。

  日中は「ゆみせんせー、ゆみせんせー」とキラキラしたまなざしでかけ寄って来てくれる子どもたちに癒され、夕方からは組合活動、ハードな生活も職場の仲間・組合員の仲間に支えられてこそできたのでした。

 組合があってこそ、自分たちの職場が守れるとわかっていても「大変」という概念が抜けず、減少していく組合員。そのなかでも保育部会は一致団結し、脱退してく職員もほとんどなく、がんばっています。1年間、組合事務所の専従職員がいない不便さを経験しました。一念発起し、副執行委員長を経て、組合事務所に座る決心をしました。保育職場を守るために、子どもたちを守るために、誰かがやらねばと仲間の支えもあって、大好きな子どもたちに囲まれる生活から離れ、2013年の4月から橋本市職労の専従職員となったわけです。

  思っていた以上に過酷で大変な日々を送っています。わからないことも、やらなくてはいけないこともいっぱいで、まわりからお叱りを受けることも多々ある毎日です。それでも、女性目線でしかできないこと、女性目線だからやれることを精一杯がんばろうと毎日過ごしています。 書類が山積みで殺風景になりがちな組合事務所、今は書記の女性と2人、花園⁉です。保育士の仕事を生かして、入口には季節のタペストリーを飾り、仕事終わりの組合員さんの疲れた心をほっこりと。

 まだまだ未熟ですが、日々精進し、住民のためにたたかえる自治体労働者をめざして、がんばります‼

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